【雑記】夢の演者に恋をした

実質ノンフィクションです。

 

春は出会いと別れの季節とはよくいったもので、自分の住んでいるアパートでもそれを実感する機会があった。

4年生だった人たちが卒業し、そうやって空いた部屋に新1年生だったり、大学に1年間通ってみて自宅から通学するのは辛いと判断した学生が、新しく入居してくるわけだ。

自分が入っている部屋は、アパートの外から見て右側が空いていて、そこに新入生が入ってきた。

新入居者は挨拶周りとかをしてくれるもので、僕の部屋のチャイムも鳴らしてくれた。

その子は短めの髪をピンクに染めた中性的な顔立ちをした少女だった。ややサイズの合っていないパーカーが重力に引っ張られ、肌に張り付き、ほっそりとした体のラインを強調していた。

良くいえばボーイッシュな感じ、悪くいえば男の子みたいだった。彼女の名誉のために、あえてここではとくにどの辺がとは明記しないが、とくに胸のあたりが。

中性的な声がそれに拍車をかけていた。

貧相な体格からは弱々しい印象を受けた。もし知り合いだったらさぞかし保護欲をかきたてられる存在だったんだろうなと思う。まぁ思っただけだ。

ただ部屋が偶然隣になっただけの関係だ。これまで特に学科やサークルが同じでもない限り、近所付き合いなんてものはなかった。

「この子とこれ以降話をする機会もないだろう。これが最初で最後の近所付き合いだろうな~」なんて思いながら、その日は事務的に会話をし、粗品だけもらった。

以来、多忙だった僕の頭からは、彼女の存在はすっかり抜け落ちていた。

 

 

6月に入ってすぐのある日のことだ。

その日は昼過ぎに大学が終わるように授業を入れていて、僕はいつものように「今日は家帰ったらなにすっかな~」なんて呑気に鼻歌を歌いながら、大学からの坂道を愛用のクロスバイクで軽快な音を立てながら下っていた。

 

アパートについた僕は自転車を置こうと、脇にある駐輪スペースの前で自転車から降りた。そこでは3人の先客がバスを待っていた。

駐輪スペースには雨風を避けるための壁と屋根がついていて、アパートの住人の中にはバスを待つための待合所として利用している者もいる。

3人のうちの1人は隣の部屋に越してきたピンク髪の少女だった。

残り2人にも見覚えがあった。片方は以前から上階に住んでいる少女で、もう片方はピンク髪の少女のちょっと前に僕の左隣の部屋に越してきた少女だ。

見たところ2人は同じ学科の2年生らしく、他愛のない会話を交わしながらバス待ちの時間を潰しているようだった。左隣に越してきた少女は新入生ではなく、おそらく1年通って実家通いが辛いと感じたタチだろう。

無論僕は彼女たちとも接点がないので、近所付き合いもなかった。

しかし、どういうわけかピンク髪の少女もその会話に混ざっているようだった。

 

僕はいかにも会話には興味ありませんよといった様子で聞き耳を立てながら、自転車を押した。どうやら学科が一緒とかいうわけではなさそうだが、同じ授業を受けているようだった。

ピンク髪の少女は非常に丁寧な受け答えをしていた。2人組の片方が何気なしに彼女に疑問を投げかけた。

「もしかしてだけど男の子?」

ピンク髪の少女がちょっと恥ずかしそうに答えていた。

「あ、はい、そうです」

は?????????????????????????????????

男?

何ということか。ピンク髪の少女は少女ではなく、男の娘だったのだ。

会話は耳に入っていませんよという姿勢を崩さず、さも平静を装いながら、自転車に鍵をかけるふりをして彼女、もとい、彼の後ろ姿をジロジロと眺めた。

彼のピンク色の襟足とシャツとの間に挟まれた首筋が魅力的に映った。

僕はこの瞬間、彼に恋にした。

 

 

部屋に戻りベッドの上でタオルケットに包まった僕は、ひどくもんもんとしていた。

彼の姿が頭から離れないのだ。

まさか現実にガチの男の娘が存在するとは思っていなかった。

彼が男の娘だとわかった途端、どうしてもお近づきになりたいと思った。

まぁ裏には、恋人として付き合えなくても、同性同士だし最悪友人として仲良くなれるっしょ、なんて不純な思惑があったのかもしれない。

 

しばらくの間僕はぼーっとしていた。彼に嫌われないようにどうやったら距離を縮められるか考えていたら、ちょっと眠ってしまっていたようだった。辺りはすっかり暗くなっていた。

部屋の外がやけに騒がしかった。どうやら近くの居酒屋で飲んだ学生がアパートの前で騒いでいるようだった。

ウチのアパートは大学から近く、そして間に居酒屋があるのも相まって、一緒に飲んだ学生を連れてきてそのまま泊めるなんてことが多々あった。実際僕も何度か泊めたことがある。

嫌な予感がした僕はそそくさとドアに向かい、ドアスコープから外を覗いた。

そして僕の嫌な予感は的中した。

 

新歓か何かで居酒屋に行ったのだろうか。酔っぱらってはいないようだったが、ドア一枚隔てた向こう側では、ピンク髪の男の娘と2人組がめちゃくちゃ打ち解けていたのだ。それどころではない、人影が2人ほど増えていた。

5人の会話から察するに、2人の男はピンク髪の男の娘のと同じ学科の先輩らしかった。たまたま居酒屋で一緒になったようだった。彼らは酒が入っているようで必要以上にやかましかった。

廊下の電灯によって辛うじて照らされた姿を何とか捉えた。2人は僕の知り合いだった。彼らは僕が前に入っていたサークルの知り合いだった。

酔っぱらった男の1人がふと僕の部屋の扉を見つめた。

「そういや、ここの部屋のやつ俺らの知り合いなんだよ。ちょっと呼んでみるか!」

「おーそうだったな。呼ぼう呼ぼう」

おいおい。

彼らは2人で僕の部屋の扉の前に立つと、チャイムを鳴らして、扉をドンドンと叩いた。

酔っぱらって後輩の前で気が大きくなっているとはいえ、乱暴なやつらだった。

しかし、ここでピンク髪の男の娘と自然に知り合いになれる状況になったのは、喜ばしいことではある。

なんなら2人に頼んで根回ししてもらってもいい。

さぁ、まずは扉を開けて彼の名前を聞くところから始めようじゃないか。

ただ、ひとまずちょっと待つことにした。チャイムが鳴ってすぐに出たのでは怪しまれるからね。

僕はさも今ベッドから起きてきましたよという体を装って、少し時間をおいてから鍵を開ければいい。

が、彼らはそれを許さなかった。彼らの1人がドアノブに手をかけたのだ。

「おっ、鍵開いてんじゃん」

ふと視線を下ろすと、部屋に帰ったら必ずかけている筈の扉の鍵がかかっていなかった。

なんという致命的なミス! このまま開けられてしまったら、僕がピンク髪の男の娘にさも興味がないようなふりをしながら、実際のところ彼の動向に興味津々な余裕のない男と思われてしまうではないか。

終わった……

彼らは無慈悲にもドアノブを捻ると、なんのためらいもなく扉を開けた——

 

 

目が覚めた。

ベッドの上で横になったまま、枕元のスマートフォンに手を伸ばし、画面を確認する。

時刻は午前7時を過ぎたところだった。スマートフォンを枕元に戻し、ふと視線を移すとカーテンの隙間から差し込む日光が床を照らしていた。フローリングに反射した眩しすぎる光が、僕の目を容赦なく突いてくる。

昨晩は買ったばかりのOculus Riftのセッティングをしていたが、手間取って3時半ぐらいに床に就いたの覚えている。3時間くらいしか寝ていないというのに不思議と疲れは取れていた。どうやらぐっすり眠れたようだ。覚醒しようと思えばすぐにでも起きられる。そんな状態だった。

 

なんだ夢だったのか。

どうやらピンク髪の男の娘には嫌われずに済んだようだ。

良かった。まぁこれからちょっとづつ距離を近づけていけばいい。

いや―—

 

意識が覚醒に向かうにつれ、僕は気付いてしまった。

そもそもピンク髪の男の娘なんて人物自体が存在していないのだ。

 

この事実に気付いた瞬間、ゆっくりと現実に戻っていた意識が、急に現実に引き戻された。自分が置かれた状況を冷静に整理できるほどには。

春に僕の隣の部屋に越してきたのは普通の男子学生だった。普通に会話をして、普通に粗品を受け取ったのを覚えている。

やけにリアルで、リアリティのある夢だったが、最初から全部夢だった。全部嘘だったのだ。

ピンク髪の男の娘も、彼に抱いた淡い恋心も。

薄暗い部屋に残されたものの中で唯一現実と実感できたものは、やけにドクドクと高鳴る心臓の鼓動だけだった。

一応、ピンク髪の男の娘には嫌われずに済んだのも事実といえる。

現実でピンク髪の男の娘にフラれるよりかは、嫌われない方が幾分かマシだ。それが例え夢の中の出来事であったとしても。


こうして名前さえ知らない彼は、僕の脳細胞の彼方に消えていった。

 

さて、大学が始まるまでまだ時間がある。3時間だけの睡眠では経験上、いくら今は眠くなくても、後から絶対に眠くなる。

そう自分にいい聞かせて僕は、行き場のないもやもやした感情を押し殺しながらタオルケットに包まり、二度寝することにした。

 

まぁ裏には、あわよくば夢の続きで彼に出会えるかもしれない、なんて思惑があったのかもしれない。

いやそれも違うか。

本当は今にも襲い掛かってきそうな虚無感を、別の夢で誤魔化したかっただけなのだろう。

 

おわり